HOME > 池上曽根 > 池上曽根遺跡とは(1)
池上曽根遺跡は、弥生時代中期に繁栄した環濠集落です。
広さは60万平方メートルはあるといわれており、弥生時代の「クニ」のひとつであったと考えられます。
中央部に広がる緑の一画が、2001年史跡公園として甦った池上曽根遺跡です。後方には大阪湾がみえます。
二千年前の大阪湾は、池上曽根遺跡のわずか2キロメートル後方にまで迫っていました。
花粉などの自然遺物の分析により、アカガシなどの広葉樹の森や、アシ、ススキなどの湿地草原が遺跡周辺に広がっていたことがわかっています。
遺跡の東側を横切って走る大きな道路が、第二阪和国道(現26号線)です。弥生時代にはその道路の手前と、遺跡の奥に河川がありました。
手前の河川では堰がみつかっていますので、遺跡の北側には水田が拡がっていたことでしょう。ただし、池上曽根遺跡が最も栄えた「弥生時代中期後半」には河川の流れは止まっていたようです。
この二本の河川にはさまれて、二条の環濠が、集落をとりまいています。その外側には方形周溝墓(弥生時代のお墓)があったようです。池上曽根遺跡では、お墓は集落の外側に造るという決まりがあったのかもしれません。
また、環濠のまわりには竪穴住居が密集していました。竪穴住居には、一時期に「何棟存在」し、「何人の人」がいたのでしょうか。
五百人説から千人説まで人口をめぐる解釈は様々です。
環濠の内側に、掘立柱建物群があります。
そして中央には大型の掘立柱建物がそびえています。
池上曽根遺跡は平野部に位置していますが、二千年前には河川などの影響もあり、今よりもっと起伏に富んだ地形をしていました。
信太山丘陵からも2キロメートルと近く、海と川と山に挟まれた豊かな土地であり、「太平洋と瀬戸内を結ぶ中継地」として交通の要衝でもありました。